俺の全てを彼に捧げても
彼を俺だけのモノにする事など出来ないのだから
もう 他に方法は無い
≪NiRVaNA≫
どんよりと暗い闇の中、銀色の満月が独り輝いている。
それは自分と云う醜い闇に、美しい彼を閉じ込めているようで。
とても、幸せな光景に思えた。
しかし現実は、そう上手くいかない。
邑輝は、束縛される事を酷く嫌った。
特定の相手は作らず、ただの性欲処理としての相手しか作らない。
例え邑輝にとってたったそれだけの存在であっても、傍にいたかった。
ただ、それだけだったのに。
「聞いているのですか、都筑さん?」
今邑輝は、怒気の篭った冷たい瞳で、睨む様に俺を見ている。
白い花が咲き始めた、まだ若い桜の樹の下。
誰にも邪魔をされないように周囲に結界を張って、彼を閉じ込めた。
身体の自由も奪って、逆らえないようにした筈なのに。
その強い瞳が、気に喰わない。
「…あぁ、ごめん。月、見てたの。 今夜は月が綺麗だし」
振り向いて、笑って見せる。
彼の表情に怒りが増して、銀の視線が更に鋭くなる。
それがとても哀しくて、とても嫌だった。
「こんな事をして、何のつもりかと聞いたのですが?」
本当に自分は彼に嫌われているのだと思い知らされて、息苦しくなる。
こんなにも、愛しているのに――…。
「…お前が、好きだから。愛してる、から」
動けない彼の前に跪いて、俯いたまま呟く。
「…だから…俺だけのモノに、したくて…」
自分が、オカシイことは分かっている。
それでも、止まらなかった。
取り出したナイフが、月の光を受けて銀色に輝く。
ふと映った自分の顔は、狂気の色に染まっていた。
彼は何も言わず俺を見つめている、無表情で。
そっと、彼の身体を押し倒した。
瞳を合わせたまま、唇を重ねる。
キスは何度もしたけど、自分からするのは初めてだった。
彼の上に跨り、逆手に持ったナイフを掲げる。
振り下ろした瞬間、彼は笑っていた。
嘲笑のようなそれは、彼自身に対してのものか、俺に対してのものか。
生まれた迷いは掻き消して、銀の刃を彼の心臓に突き立てた。
肉を貫く感触が、掌にリアルに伝わった。
滲み出てくる深紅の液体が、酷く綺麗だった。
いつの間にか自由になった彼の腕が、空に伸ばされる。
血に濡れた指先に、頬を撫でられた。
「…ッ…都筑、さ…」
苦しい息の中、俺の名前を呼んで。
彼は、俺の初めて見る、優しい笑顔をしていた。
知らず知らずのうちに溢れる涙を無視して、もう一度手を振り上げる。
彼の腕が地に戻った事を合図に、俺は何度も彼の身体を突き刺した。
一度勢いを止めた時、再び邑輝は手を伸ばして、俺の頭を引き寄せて。
耳元で、ゆっくりと囁いた、言葉。
そして優しく髪を撫でた彼の手が、先程とは違い力無く落ちた。
「…邑、輝…?…なんでそんな事、言うの…?」
呟きながら、真っ赤に染まったナイフで切り裂いて、また突き刺して。
飛び散る血液が、地面も、桜の樹も、俺自身までも染めていく。
「…嘘吐き…どうして、そんな嘘、吐くんだよッ…!」
真実のハズが無いんだ、あんな事。
ただ、俺を惑わすために紡がれた、言葉。
涙は止まらなくて、湧き上がる嗚咽を唇を噛み締めて抑えた。
そうしながらも、振り下ろす腕は止まらなかった。
柄を握り締めていた手が麻痺して、ナイフが地面に落ちる。
荒い呼吸を鎮めて、体温を無くした彼の身体を抱き締めた。
自分が彼の血に塗れていく事さえ、嬉しかった。
口許には、笑みさえ刻まれていた。
「…お前が…俺から離れていこうとするから…」
集中して、霊力を具現化する。
醜い死神に相応しい、長い柄の先に三日月形の刃が付いた凶器。
「死神の鎌…首を刈り取るにはぴったりでしょ?」
クスクスと笑って、邑輝の首筋に刃を宛がう。
開いたままの彼の瞳を、そっと閉じて。
しっかりと握り締めた柄を、一気に横へ引いた。
用済みの凶器を霊力に戻して、体内に取り込み直す。
地に座って、胴体から切り離した頭部を持ち上げた。
紅を絡めた銀色の髪も、血の滴る白い肌も、綺麗だった。
「これでもう、何処にも行けないよね」
冷たい邑輝の唇に、自分の温かい唇を重ねた。
そして彼を、自分の胸に抱き締める。
望んだとおり、邑輝は俺だけのモノになった、それなのに。
何故、胸の内を満たすのは、幸福ではないのだろう。
まるで空洞が出来たかのように、広がるのは虚しさばかり。
「…お前が…あんな風に笑うから…」
今まで決して見せなかった、優しい笑顔を見せたから。
「あんな事、言うから…ッ…」
今まで、ずっと望んでいた言葉を、言ったから。
もう微笑む事のない、物言わぬ彼を抱き締めて。
震えも涙も、抑えられなかった。
「…っ…らき…、邑輝ぃ…ッ…!」
虚しい叫びを掻き消すように、風が吹いた。
舞い落ちて来たのは頭上の桜の花弁で、白い筈のそれは薄桃色に変わっていた。
そう、わざわざ白い花弁の桜の樹を選んだのは。
彼の血で、桜を染める為だったのだから。
「…あぁ、桜が綺麗だよ、邑輝」
抱き締めていた彼を、目の前に掲げる。
もう、彼の笑顔を見ることも、声を聞くことも出来ないのは、残念だけど。
気分は、晴れやかだった。
彼の血で染められた桜の花弁を見て、何かが変わった。
「早く帰ってちゃんと、お前の場所、作ってやらなきゃ」
また、彼を抱き締めて、笑う。
幸福が、胸を満たしたのに。
頬を伝う雫の感触は、消えない。
「…この桜が満開になる頃に、また逢いに来るよ」
片方の腕で邑輝を抱き抱えて、立ち上がって。
もう片方の血に濡れた掌で、そっと桜の樹に触れた。
「待っててね…邑輝」
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