見えない糸、繋がる気持ち。
≪月と星≫
「あれれ〜?」
本来の退勤時間を大いに過ぎた頃、ようやく帰宅が許されて。
季節の所為か時間帯の所為か、一際厳しい寒さの中を歩いていたときだった。
背後から、棒読みで掛けられた言葉。
一瞬、自分の耳を疑った。
その声は、聞き違えるはずのない彼のものだったから。
「奇遇ですねー、邑輝センセ? 随分と遅いお帰りで」
「……ええ、本当に。 奇遇ですね、都筑さん?」
私の喋り方を真似ているのか、わざとらしい敬語で、気取ったように話す彼。
それが妙に可笑しくて同じように返してみれば、悪戯っぽい彼の笑顔。
よく見れば、鼻の頭や頬は少し赤く、それとは対照的に指先は白くなっていた。
淡い期待が、頭を擡げる。
もしかしたら彼は、私を待ってくれていたのだろうかと。
「そういえば都筑さん…何故、貴方がここにいるのですか?
地上に何か用事でも?」
「あー…まぁ、用事って言えば用事かな」
「ほう…どんな用事かは教えて頂けないのですか?」
「………教えてほしい?」
「ええ、是非」
「…そんなに、知りたい?」
彼の元に歩み寄り、そっと手を取る。
触れた掌は、低いはずの自分の体温よりも冷たかった。
その手を振り払われないことも、敵である自分に話し掛けてきたことも。
冷たい指先にさえ、期待してしまう。
誰かを想うと、人はこんなにも愚かになるのだろうか。
「寒さに凍えてもいいと思うほど、大切な用なのでしょう?
それほどまでに貴方の心を支配するなど……少々妬けますね」
「……ッ…」
悴んだ指先に口付けながら囁いた声は、自分でも呆れるほどに甘くて。
彼はと言えば…未だにこういった仕種や科白には慣れないのか、耳まで赤く染めている。
大きく目を見開いて、魚のようにぱくぱくと忙しなく口を動かして。
可愛らしい反応に、ますます貴方が愛しくなる。
「ば…っ…バッカじゃねーの?」
「おや、ご存知ありませんか? 恋をすると、人は愚かになるものですよ」
「………言ってろ、バカ」
赤いままの頬で、濡れた紫水晶をついと逸らす。
それが照れたときの仕種だと、そう気付いたのはつい最近のこと。
……いや、期待が確信に変わったのは、だろうか。
「つれない方ですねぇ……それで?」
「は?」
「大切な用事とやらは、結局教えて頂けないのですか?」
「……そうだな…じゃあ、ちょっと付き合ってくれよ」
彼に誘われるままに、近くの公園へ。
日中は何かと騒がしいが、日が沈めば驚くほどに静かな場所。
とりあえず、備え付けのベンチに並んで腰を下ろす。
普段では有り得ないはずのシチュエーションに、知らず笑みが零れる。
「……何笑ってんだ、お前」
「ああ、失礼……あまりに平和的なものですから、つい」
馬鹿にされたとでも思ったのか、彼が拗ねたように上目遣いで睨む。
そんな顔をしても可愛いだけで、笑みは深くなるばかりなのに。
「………なんか、飲み物買ってくる」
短い沈黙のあと、不意に立ち上がって呟く。
普段の彼とは違い過ぎて、驚きながらも嬉しくなる。
「私が行きましょうか?」
「いい。 買ってきてやるから、待ってろ」
「……はいはい…ではお待ちしていますよ、お姫様」
「……ッ…いちいちうるさいんだよ、お前はっ」
ぷいと背けた顔、けれど耳はまた真っ赤になっていて。
寒さの所為だけではないと、自惚れるくらいは許してもらえるだろうか。
「………ねぇ、都筑さん」
あっという間に走り去ってしまった彼の背中に、ぽつりと呟く。
「待ってろ、なんて言葉が嬉しかったのは…何故なのでしょうね?」
答えの解りきった問い、けれど彼に尋ねたら、どんな答えが返ってくるだろう。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
ぽいと素っ気なく手元に投げられたのは、温かいブラックの缶コーヒー。
彼の手元を見ると、小さいペットボトルのホットミルクティー。
彼らしい選択に、また笑みが零れた。
「なんだよ、嫌なのか?」
「とんでもない。 とても嬉しいですよ?」
「…そーかよ、そりゃ良かったな」
「ええ」
またからかわれたと思ったのかもしれない、子供のように唇を尖らせて。
けれど、当たり前のように隣に座ったことが、嬉しい。
こんなに素直で、人間らしい…温かくなる感情は、全て貴方が与えてくれたもの。
貴方に出会って、人を愛することを知ったと言ったら。
貴方はまた、バカだな、と笑ってくれるのでしょうか。
「……冬ってさ、夜空が綺麗だよな。 月とか星とかよく見えるし」
「ああ…空気が澄んでいますからね」
「その分、寒いんだけどな。 …でも、冬の…特に夜中とかさ、いいよな」
「ええ、確かに…綺麗ですね」
「俺、さ…冬は、星とか空の色とかも好きだけど…月が、一番好きなんだ」
「ほう、何故です?」
話しながら、彼の肩を抱き寄せる。
一瞬身体を強張らせたものの、振り払おうとはしない。
それを嬉しくは思うが、いつにも増して従順な彼の様子が不思議で仕方ない。
髪や頬、指先に触れようものなら『勝手に触んな!』
肩や腰を抱こうものなら『やめろ、ヘンタイセクハラ外科医っ』
と言いながら真っ赤になって照れたような反応をするのが常だから。
「……それよりさ」
「おや? 答えて頂けないのですか?」
「〜〜〜っ…それより! さっき、用事があるって言ってただろっ」
「ああ、そちらもまだ伺っておりませんねぇ」
「……手ぇ出せ」
「は?」
「いいから、手ぇ出せって言ってんだよ」
ちらりと右手の腕時計を見て、突然ぶっきらぼうに言い出した。
逸らされてばかりの答えが気になるものの、彼の命令となれば逆らうことはしない。
肩から手を離さなくてはいけないことが、残念ではあるけど。
「…どちらの手ですか?」
「え……あー…じゃあ、左」
「はい、どうぞ?」
「……目、つぶってろ」
言われた通りに目を閉じて、左手を彼に差し出す。
少しの間を置いて、指先に彼の体温を感じた。
たどたどしい触れ方さえ、愛しい。
小指に、何か細いものが巻かれたらしい。
感触的に指輪ではないことは解る…が、さすがに正体までは解らない。
「……よし」
「もう目を開けてもよろしいでしょうか?」
「ん、えーっと……ああ、オッケー」
彼の許しを受けてから、ゆっくりと目を開ける。
温くなってしまったであろう紅茶を啜る横顔は、心なしか赤くなっているように見えた。
いつもの照れた表情に疑問を感じながらも、左手の小指に目を遣ると。
「………これは…」
小指に結ばれた、赤い糸。
あまりに予想外で、じっと糸を見つめたまま固まってしまった。
これは、所謂『運命の赤い糸』のつもりだろうか。
「……お前、今日誕生日だろ」
「………よくご存知で」
「それで……プレゼントっていうか…。
俺は、死神だけど…特別に、縁結びやってやる」
「ほう、死神にはそんな能力もあったのですね。 それは知らなかったな」
「うるせぇな、どーせ無ぇよっ」
「おや、では貴方の親切心ですか?」
「………まぁ、そんなとこ」
何気なく、赤い糸を視線で辿ってみる。
繋がっているのは…目を閉じる前とは違って、右手を入れたままの黒いコートのポケット。
期待が確信に変わっていく、この瞬間が堪らない。
嬉しくて、愛しくて…きっと、幸せとはこういうことを言うのだろう。
期待は絶望と等しいものだと思っていた私の心を、貴方は見事に覆してくれる。
「……ねぇ、都筑さん?」
「………なんだよ」
「これが運命の赤い糸ならば…私の運命の人に繋がっているということですよね?」
「そ…そう、だな」
「そうですか……では」
「え……っ」
ぎこちなく蝶結びにされている糸に、口付けた。
相変わらず赤い頬のまま驚いている彼を、横目で確認する。
「こうして想いを囁けば、愛が伝わるかと」
「……糸電話じゃねーんだぞ」
「おかしいですねぇ」
「何がだよ」
「だって」
赤く染まった耳に、唇を寄せて。
誰も居ない公園、けれど貴方だけにしか聞こえない声で、静かに。
「……私の運命の人は、貴方しか居ないでしょ…?」
「………ッ!!」
「だから、私の赤い糸は貴方に向かう筈なのですが…届いていないのでしょうか」
自分の小指に結ばれた糸を見つめ、わざとらしく溜息を吐きながら呟く。
ポケットに入れたままの右手を見つめている彼の視線が、一瞬私に向けられて。
そして横顔すら見えないほど視線を逸らして…気付けば、目の前にそれは差し出されていた。
「……こ、これがそうか?」
「ああ…良かった、ちゃんと繋がっていたようですね」
「………お前って、ホントやなヤツ」
「そういう貴方は、可愛らし過ぎて困りますねぇ」
すぐ傍にある彼の手を取って、同じように小指に口付けて。
僅かに強張る指先も、それでも振り払わない彼の意思も、全てが愛しい。
ひとつの糸で繋がる手を重ねて、空いた手で彼を抱き寄せた。
「………冬の月は、お前に似てるから…」
大人しく身を委ねている彼が、腕の中でぽつりと呟く。
冬の月が、一番好きな理由。
「……全く、貴方という人は…私を喜ばせる天才ですね」
「…天才も何も、そんなの俺にしか出来ないことだろ」
いつも、そうだ。
貴方はほんの些細なことで、私の全てを動かす。
この糸を外しても、目に見えない運命は永遠に繋がったままだろう。
「………本当に、貴方には敵わないな」
「……それは、こっちのセリフだっつーの」
頬に手を添えて、触れる寸前まで唇を寄せる。
不思議そうに見上げる彼に、自然と微笑んでしまう。
「ねぇ、都筑さん」
「…っ……何?」
親指で唇をなぞれば、彼の身体が微かに震える。
握ったままの掌は冷たいのに、頬と唇は熱くて。
期待か羞恥か、潤んだ紫水晶は今まで見た中で一番綺麗で。
「………好きだよ」
「……ッん…」
重ねる瞬間、囁いた言葉は何よりも正直な気持ち。
彼はこれ以上ないほど目を丸くして、首まで赤くなって。
でもきっと、振り回されるのは私の方。
「…っお…俺、も…お前のこと………、好き…」
ああ、ほら。
消え入りそうな程の小さな告白が、こんなにも私を満たしてくれる。
私は、永遠に貴方には敵わない。
けれど、それすらも幸せだと思えるから。
赤い糸は、ずっと繋がっているだろう。
「……もう一度、言ってくれませんか?」
「…邑輝も言ってくれんなら、いいけど?」
きっと今、囁く声も、微笑みも、蕩けるほどに甘いのだろう。
でもそれは、重ねた貴方の唇が、小さく呟く言葉が、蕩けるほどに甘い所為。
もっとその甘さを味わわせて、貴方にしか与えられない幸せで満たして。
運命の赤い糸が、永遠に解けないように。
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コメントと云う名の懺悔。
実はこのお話、絵から先に出来ました。
とりあえず絵をペン入れぐらいまで終わらせて、
もう今回絵だけでいいかなー…とか思ってたんですが。
最近ほら、闇末の12巻発売のお知らせがあったじゃないですか。
で、こんな辺境サイトまで、アクセス数がアップしてるんですよ。ありがたいことに。
せっかくだから、この盛り上がりに便乗しようと思いまして。
きっちり絵と小説の2つでお祝いです。
僕ものすっごい病的な(笑)ムラキストですからね。
邑輝の誕生日なんだし、派手にお祝いしないと!
あ、ちなみにタイトル≪月と星≫はですね。
誰よりも最初に読んだ胡桃サンが名付けて下さいました。
胡桃サン、ありがとーvV