中々逢えない二人の隙間を、埋めるものは何だろう。
≪掌の愛言葉≫
昼休み、桜舞い散る中庭で、のほほんティータイム。
食後の紅茶を啜っていると、心臓に微かな振動が伝わる。
少々乱暴に、カップを小さなテーブルに戻すと。
普段の昼行灯ぶりからは想像も出来ない素早さで、内ポケットからそれを取り出した。
やや緊張気味に開いたそれは、携帯電話。
常なら緊急用にしか使わない筈のそれが、今やある男と連絡を取り合う為のものになってしまっている。
画面には、メール受信の文字が表示されていた。
数回ボタンを押して、メールを開く。
邑輝 一貴
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急に仕事が入ってしまいました。
申し訳ありませんが、今日は逢えそうにありません。
また連絡します。
画面と視線を、何度も上下にスクロールさせて。
都筑は重い溜息を吐きながら、携帯電話を閉じた。
「………またか…」
地上と冥府に分かれて生きる恋人は、その生業の所為か酷く忙しい。
一応公務員である都筑とは、休日が重なることなど稀で。
それでも暇を見つけては、逢うようにしていた。
だが、ここ一ヶ月ほど、擦れ違いばかりで逢えていない。
「……今日は、じゃなくて、今日も、だろ…」
医者という仕事が忙しいのは解っているし、それを放り出して逢いに来てくれても、嬉しくはない。
どんなに忙しくても、こうして連絡を入れてくれるだけマシと言えばマシなのだが。
メールの内容が、逢う約束と、約束が守れなくなった謝罪だけとなると。
「…たまには、電話にする、とかさ…」
逢えない時間と同じくらい、声も聞いていない。
メールだけを眺めていても、何も伝わらない。
閉じた携帯電話を、もう一度開く。
待ち受け画面に設定しているのは、いつか隠し撮りした邑輝の寝顔。
「……俺のこと、嫌になったのかな…」
逢えないというだけで、どうしてこんなに不安になるんだろう。
時々でも、僅かな時間だけでもいいから、電話くらいしてくれてもいいのに。
淡々とした文章と写真だけでは、足りない。
「………邑輝の、バカ」
小さい画面の中で気持ち良さそうに眠っている邑輝に、やけに腹が立って。
ぼそりと一言呟いて、メールの返事を返さないまま携帯を閉じた。
今日は巽から残業を言い渡されることも無く、定刻通りの帰宅となった。
いくら早く帰れても、どうせ今日は逢えない。
時間を持て余して、とりあえず地上に来ることにした。
誰かに当たることも出来ないモヤモヤは、ケーキでも食べて消化してしまえばいい。
財布の中身を確認してそう決めた都筑は、行きつけのケーキ屋に向かった。
「……え…」
扉に手を掛けようとして、だが店内に入る前に、都筑は隅の方に避けた。
壁のガラスから店内の様子を覗き見ると、見間違えることのない恋人の姿。
「…なんで、邑輝がここに…」
唖然として眺めているうちに、買い物を終えたらしい邑輝が扉に向かって歩いてきて。
思わず近くの路地に隠れて様子を見ると、邑輝はケーキが入ってるであろう袋を手に提げたまま。
空いている手で内ポケットを探って、何かを取り出した。
取り出したのは携帯電話で、慣れた手付きでボタンを押して耳に当てる。
「……もしかして、俺以外のヒトと逢う、とか…?」
知れず、涙が滲んでくる。
こんなに近くに居るのに、邑輝は気付いてさえくれない。
項垂れていると、胸元で振動を感じた。
必死に泣くのを堪えながら折り畳み式のそれを開いて、画面を見て。
表示された名前に一瞬固まって、すぐに我に帰って、通話ボタンを押した。
「もしもし…?」
『……都筑さん…?』
耳元から、聞き慣れた声が聞こえる。
すぐ近くに居る邑輝が電話を掛けた先は、都筑だった。
「……邑輝……?」
『今から、逢えませんか?』
「………ッ…」
久しぶりに聞いた優しい声に、先程とは違う涙が溢れそうになる。
建物の陰からこっそり顔を出して様子を窺うと、邑輝は歩き出すところだった。
堪え切れずに零れそうになった涙を拭って、少し距離を空けて後を追う。
『……都筑さん?』
「………何だよ」
『…やっぱり、怒ってます…?』
「……………」
『すみません……ここ最近、連絡もろくに出来なくて』
「……そんなに、忙しかったのか?」
『ええ……何故か、仕事を上がる直前に交通事故が多発したり、急患が運ばれて来たり…』
「………休憩とかも無かったのか?」
『あっても、明け方や昼間では逢えませんしね…』
「…………なぁ、邑輝」
『何です?』
ほぼ二人で住んでいるマンションの前で、邑輝が立ち止まる。
身を隠しながら喋って、躊躇いながらも、ずっと聞きたかったことを聞いた。
「……俺に、逢いたかった…?」
『当たり前でしょう』
どう答えられるかと身構える暇も無く、即答された。
正直言えば、少し不安だった。
自分と同じくらい、逢いたいと思ってくれているか、とか。
でもそんな不安が綺麗に消し飛ぶくらい、当然のように答えてくれた。
それが、酷く嬉しくて。
『そういえば都筑さん、貴方は今どこに…』
受話器から、目の前から、同じ声が聞こえる。
両方近くにあるのなら、どちらを選ぶかなんて、決まりきっている。
携帯から聞こえる音が途切れた原因は、二つ。
一つは、都筑が電話を切ったから。
そして、もう一つは。
「……都筑さん?」
突然途切れた電話に戸惑う邑輝の背中に、都筑が抱きついたから。
振り向いた邑輝は、さすがに驚きを隠せないようで。
しばらく、無言で都筑を見つめていた。
「あの……いつから、ここに…」
「………ケーキ屋から」
都筑の返答にまた驚いた邑輝は、苦笑しながら小さく息を吐く。
「やれやれ……貴方の尾行に気付かないなんて、勘が鈍りましたかね」
「…ホントに、気付いてなかったのか?」
「ええ、まったく。 ……いえ、違いますね」
自分に呆れながら、困ったような、だがどこか嬉しそうな顔で微笑み。
都筑の細い腰を抱き寄せると、耳元で小さく囁いた。
「……貴方のことばかり考えていたから、気が付かなかったんです」
「………ッ!!」
唐突な接触と、久しぶりに感じる体温、甘く囁く低い声。
その所為で、心臓が跳ねて頬が急激に熱くなる。
真っ赤になった顔を、白い指先に撫でられた。
火照った頬に、その冷たさが心地良い。
「ずっと逢えなかったお詫びに、貴方の好きなケーキを沢山買ってきましたから。
……一緒に、食べましょう?」
「………うん」
都筑が瞳を隠したのを合図に、柔らかい唇が重ねられる。
触れて、キスして、抱き締めて。
ただそれだけで、不安も、寂しさも、悲しみも、全てが消える。
中々逢えない二人の隙間を、埋めるものは。
メールでも電話でも、待ち受け画面の写真でもなくて。
触れた掌から伝わる、二人だけの愛言葉。