そりゃ、いつもってワケにはいかないけど。
雨の日は、一緒に歩きたくなるんだ。
≪傘の中≫
久しぶりに、二人揃っての休日。
ソファーに座ってぼんやりしているフリをしながら、時々恋人の横顔を盗み見て。
でも分厚い本から視線を外さない邑輝の肩に、ことんと軽く頭を乗せる。
一瞬だけ視線を合わせて微笑むと、白銀の瞳はまた文字を追う。
そんなことを昼食後から繰り返して、もうどのくらいの時間が経っただろう。
静かで、穏やかで、幸せな時間。
雨が降っている所為もあるかもしれない、世界に二人だけしかいないような。
胸の内が、温かいもので満たされていく。
でも、もっと。
この幸福が味わえる方法があるんだ。
だから。
「……なんかさ、小腹空かない?」
「もう、おやつタイムですか?」
「だって、昼飯から結構時間経ったよ?」
「そうですねぇ……でも、冷蔵庫は空ですよ」
「うん、だからさ…買い物、行かない?」
「……雨、降ってますよ」
「いいじゃん、すごい大雨ってワケじゃないんだし」
「分かりましたよ、では一緒に行きましょうか」
小腹が空いたっていうのは、嘘じゃないけど。
でも、本当の目的はそれじゃないんだ。
わざとらしく肩を竦めてから立ち上がると、俺の手を引いて立たせてくれる。
そのまま玄関に向かって靴を履いて、隅に置いてある傘を二つ、取ろうとして。
「傘、二つもいらないよ」
「……それもそうですね」
もしかしたら、俺がしたいことが伝わったのかもしれない。
傘を一つだけ取って、温かい色を宿した瞳で微笑んだ。
俺だけが見られる、優しい笑顔。
今、同じことを考えてくれてる?
一つの傘を差しながら、雨の街を二人で歩く。
目当てのケーキは買ったけど、もう少し一緒に歩いていたい。
「なぁ、こっちから行こうぜ」
「はいはい」
家まで帰るのに、一番遠い道。
そこを指差して言えば、くすくすと笑いながらも賛成してくれる。
だって、少しでも長く、このままでいたいんだ。
「では、次は右に曲がりましょうか?」
「うん」
邑輝も、きっと分かってくれてる。
……そういえば、こうして二人で雨の中を歩くとき。
いつも、邑輝が傘を持ってくれている。
さりげなく、でも俺が雨に濡れないように、守ってくれている。
こういうところも、好きなんだよな。
「……都筑さん?」
突然立ち止まった俺に、邑輝も足を止めて顔を覗き込んでくる。
紅いピアスが光る耳に、唇を寄せて。
「……好き、だよ」
小さな声で、囁いた。
人通りの少ない場所でも、人は居る。
でも、近くを通る誰にも、この声は聞こえていない。
声が届いたのは、隣に居る大好きな人だけ。
「……まったく、貴方という人は…」
「何のことでしょーか?」
「いえいえ……小悪魔な恋人を持つと気苦労が絶えませんね、という話ですよ」
「それ、そのまま返すよ」
「おや、私はそんな可愛らしいものになった覚えはありませんが?」
「お前の場合、自覚がないだけだろ?
『小悪魔』の上に『天然』がついてるからな」
狭い傘の中が、二人の声で満たされる。
肩から感じる体温と、ふと聞こえる呼吸。
それが、こんなにも心地良い。
「あ……もう…」
「……家に帰っても、二人ですよ?」
段々、先程まで一緒に居た家が見えてくると、思わず落胆を隠せなかった。
家に帰った方が、二人きりになれるのは分かってるけど。
「そう…なんだけど、さ…」
「………都筑さん、ちょっと傘を持って頂けませんか?」
「え? …う、うん」
脈絡も無く言われ、けれどとりあえず邑輝の手から傘を受け取る。
邑輝の方が少し背が高いから、頭にぶつからないように気を付けていると。
「…ねぇ、都筑さん?」
「……ッ…な、なんだよ」
自由になった手で腰を抱き寄せられて、不意に耳元で名前を呼ばれた。
低く掠れた声はいつ聞いても魅力的で、背筋にぞくぞくと走るものがある。
なるべく平静を装って答えると、耳朶に軽く口付けて。
「私も…貴方が、大好きですよ」
「………ッ!!」
「だから、さっきの…嬉しかったんですよ?
出来れば、もう一度言って欲しいくらいに」
少し離れて、ふわりと微笑んでみせる。
見惚れてしまうくらい、綺麗な笑顔。
今が、傘の中で良かった。
だって、こんな風に笑うことなんて。
俺だけが知っていればいいんだから。
「……もう一度、でいいのか?」
「貴方も、一度だけでは嫌でしょう?」
ちょっと意地悪く言ってみれば、同じように返されて。
顔を見合わせて、二人で笑って。
「お望みとあれば、何度でも…だろ?」
「おや、よく分かっていらっしゃいますね」
「お前のことなら、な」
「…本当に、小悪魔ですねぇ」
「だから、お前に言われたくないよ」
ほんの少し傘を下げて、狭い世界を更に狭くして。
まるで、互い以外の存在に気取られることを咎めるように。
それを合図に、唇が重ねられた。
冷たい、けれど確かな温もり。
僅かに距離が空けば、それを埋めるように。
吐息にも似た声で、愛を囁く。
だから、雨の日は一緒に歩きたくなるんだ。
だって、いつもよりずっと小さな世界で。
いつもより、ずっと近くで。
鼓動も、体温も、呼吸も、言葉も、感情も。
全てを、大好きな人と分け合えるから。
だから、さ。
次の休日に、また雨が降ったら。
今度は、お前から誘って。
お前が隣に居る、傘の中に。