どうか、傍に居て、と。
≪愛は裏切りに似て 7≫
苦痛を楽しむように、ゆっくりと。
首に掛けられた掌の力は、徐々に強くなっていく。
気管が狭くなって、上手く息が通らない。
声を出したくても、声にならない。
伝えたいことが、あるのに。
「貴方は、苦痛の表情が良く似合う……」
生理的な涙の所為か、酸素不足の所為か、視界が霞む。
恍惚とした眼差しと、笑みに歪んだ唇だけが、世界の全てになる。
昔、似たようなことがあった。
邑輝は、死を望んでいた俺を、殺そうとしてくれた。
誰に憎まれても、俺の望みを叶える為に。
以前なら、このまま殺されたい、そう願っていただろう。
でも今は、そうは思えない。
例え、それがお前の望みでも。
俺は、お前と生きたい。
望まず長い時を生きてきて、やっと、そう思えた。
「死んだら、きっと……もっと、綺麗ですよ」
もう片方の手も、首に伸ばされる。
耳鳴りがする、意識が遠のく。
お前の、傍に居たいのに。
「ねぇ、都筑さん」
子供が親に甘えるように、見つめながら、言葉が紡がれる。
血塗れの所為かもしれない、邑輝が泣いているように見えた。
「貴方を殺したら、………ずっと、傍に居てくれる?」
何も映っていなかった、白銀の瞳に。
縋るような、哀しみの色が映った。
「…っ、む…ら、き……ッ」
「殺さないと……傍に、居てくれないの…?」
ほんの少しだけ、力が緩められる。
それでもまだ、声を出すには苦しかったけれど。
邑輝が、泣いている。
絶望が、深い哀しみに変わって。
泣きながら、俺を殺そうとしている。
「殺したくなんかない……、…人形じゃ、意味が無い」
生きている貴方に、傍に居て欲しい。
例え、貴方が死を望んでも。
貴方の笑っている顔が、見ていたい。
涙を流すなら、泣き止むまで傍に居たい。
そうして、また貴方が笑ってくれたなら。
それは、至上の幸福。
「でも……声が、聞こえるんだ………貴方を、殺せ、って……」
咲貴の声が、自分の声が。
貴方を殺せと、命令する。
それを拒むように、身体を傷付けた。
自我を保つ為に、貴方を傷付ける代わりに。
でも結局、貴方を殺そうとしている。
「貴方を殺せば、ずっと……傍に居てくれる、って…そう、言っていた……」
私が、弱いから。
全てを貴方に伝えられるほど、強くなかったから。
ずっと、怖かった。
受け入れてもらえるか、不安だった。
だから、何も言えなかった。
貴方が、離れてしまいそうで。
咲貴の姿は、自分が作り出した幻。
自分の所為じゃない、そう言い訳する為の逃げ場だった。
でも。
「………でも、私は……生きている貴方に、傍に居て欲しい」
もう、逃げたくない。
幻に、誰よりも憎んでいる筈の義兄に、頼りたくない。
「叶わなくていいなんて、思えない……例え、赦されなくても」
指先から、力が抜ける。
糸の切れた操り人形のように、支えを失った身体は床に座り込んだ。
その身体を、抱き締める。
罪が増えても、罰を受けるとしても。
もう、離れたくない。
「お願い、都筑さん………どうか、……傍に、居て」
震えて、掠れた声が。
耳元で、響いた。
縋るように抱きつく身体も、震えている。
こんなにも、弱かった。
解っていた筈なのに、突き放したのは、自分。
「……邑、輝……俺」
俺は、お前を一度捨てたのに。
傍に居て、なんて、言ってくれるのか。
俺の所為で、傷付いたのに。
絶望に、堕ちたのに。
「俺、は……お前の、傍に居たい」
今更と、思うかもしれないけど。
きっと最初から、俺の望みはそうだったんだ。
お前が求めてくれるからなんて、関係ない。
邑輝の、傍に居たい。
お前が幸せそうに笑う顔を、見ていたい。
お前が泣くなら、泣き止むまで傍に居たい。
そしてまた、笑って欲しい。
ふと、手首に深く刻まれた傷痕に、視線を奪われる。
自分と同じ場所に作られた、傷。
よく見ると、至る所に傷は存在した。
全身血塗れだったのは、これほど沢山の傷をつけた所為。
痛々しい、だけど、目を逸らさない。
この傷の一つ一つが、邑輝の想い。
全てが、愛しい。
「お前が、俺を……望まなくても」
いつか、邑輝がそうしてくれたように。
共有してしまった傷痕に、唇を寄せる。
邑輝が醜い傷痕にキスをしたとき、何故か泣きそうになったのを覚えている。
全てを愛していると、言われているようで。
同じことが伝わるか、解らないけど。
言葉だけでは伝えきれない想いを、伝える為に。
痛々しい傷に、口付けた。
祈るように、誓うように。
「お前が何を望んでても関係ない……俺が、お前の傍に居たいんだ」
上手く言うのは得意じゃないし、行動で示すのも苦手だけど。
嘘偽りの無い気持ちを言葉にして、でも伝わっているか不安で。
視線を上げて様子を窺うと、邑輝はまた、涙を流していた。
「……都筑、さん……」
衝動的に、抱き締めていた。
血に濡れるのも構わずに、強く抱き締める。
邑輝がそうしてくれたように、離さないように。
「もう、どこにも行かない…?」
「行かない」
「……独りに、しない…?」
「しないよ」
「…………ずっと、」
見上げた瞳に、自分の姿が映る。
邑輝の瞳に居るのは、俺だけ。
「傍に、居て……?」
「……安心しろよ。 もう、離せって言っても離さない」
そのときの邑輝を、俺は永遠に忘れないと思う。
腕時計を外して、俺の醜い傷痕にキスをして。
幸福による涙を滲ませて、幸せそうに微笑んだ顔を。
「都筑さん……愛してる…」
「俺も……大好き、だよ」
貴方に、傍に居て欲しい。
お前の、傍に居たい。
望むものは、同じだった。
ただ、ずっと一緒に居たいだけ。
幸せそうに、笑う顔を見て。
涙を流すなら、泣き止むまで隣に居て。
また、笑った顔を見て。
そうして、二人の時を重ねていきたい。
永遠に、例え永遠が終わっても。
一緒に居たい、そう願う限り。