願うことさえ、赦されない
≪愛は裏切りに似て 1≫
「……んー…」
寝返りを一つ打って、ゆっくりと目を開ける。
この場所で熱を分かち合った筈の恋人は、目覚めるといつも隣に居ない。
そのことに少し寂しさを感じつつ、仕事があることを思い出し起き上がろうとする。
「…っ痛……」
身体の所々に感じる疼痛は、昨夜の激しい行為によるものだろう。
すっかり日常となったその痛みと気怠さに、呆れたような笑みを零して。
外された腕時計をベッドサイドから手に取り時間を見ると、いつもより幾分か早く目が覚めたようだ。
昨夜は、シャワーを浴びる暇も無かったから。
確かに毎度突然に行為を迫られるが、昨日はどこか様子が違った気がする。
夢を見たからと言っていたけれど、本当にそれだけだろうか。
思い返してみれば、ここ最近はずっとおかしかったかもしれない。
けれど、余計な心配も詮索も、嫌がるだろう。
「…何かあれば、話してくれるよな……」
仮にも、恋人という関係なのだから。
本当に悩んでいたら、何か言いたいことがあるなら、自分から話してくるはず。
邑輝なら、きっとそうするだろう。
楽観的に考え、とりあえずシャワーを浴びるために。
ついでに汚れたシーツを洗濯機に突っ込んでおこうと、それを身体に巻き付けて寝室のドアを開ける。
このとき既に過ちを犯していたことを、都筑は気付けなかった。
「あ……おはよ、邑輝」
「ああ、おはようございます」
部屋から出ると、邑輝はソファーの定位置に座り、温かいコーヒーを啜っていた。
シーツを巻き付けただけの格好に都筑は少し羞恥を感じたが、邑輝は気に留めていないようだ。
投げ掛けられた言葉に、微笑と共に応える。
「……あれ…」
「? どうかしましたか?」
「あ、ああ……いや、別に…」
「よく分かりませんが……とりあえずシャワーでも浴びて、着替えてきたらどうです?
ちゃんと、朝食は用意してありますから」
「………うん」
いつもと、同じ風景。
その筈なのに、微かな違和感を覚えた。
そう感じたのは一瞬だけで、次の瞬間には妙な違和感は消えていた。
気の所為かもしれない、そう思い直して。
色濃く残る情事の痕跡を洗い流す為に、浴室に向かった。
「おはようございまーす」
「おお、おはようさん」
召喚課のドアを開け、挨拶と共に足を踏み入れる。
実の所、身体は相当きつかった。
起き上がってすぐは気付かなかったが、シャワーを浴びているうちに身体の重さがぶり返して。
いつも痛みは酷くないが、代わりに腰の辺りがどうしようもなく重いときがある。
昨日は格別に熱い夜だったから、動く辛さも格別だ。
「なんやぁ、都筑…随分辛そうやな〜……あ、さては…」
「な……なんだよ」
面倒そうな顔でもしていたのだろうか、亘理があまり性質の良くない笑顔を見せて。
「昨夜は、めっちゃくちゃ激しかったんやろ〜?」
「なっ……」
人差し指をビシッ!と音がしそうな程の勢いで突き出し、からかうような声音で言い放つ。
邑輝との関係は渋々ながらも周知の事実、だけど。
「お、真っ赤やでぇ都筑。 図星やな〜?」
「う、うるさいな、ほっとけよっ」
怠そうに出勤するたびにそんなことを言われるのは、さすがに恥ずかしい。
関係を隠すよりは、大分気が楽と言えば楽だが。
それに、からかいながらも何かと相談に乗ってくれる亘理には感謝している。
いくら了承してくれたとはいえ、巽や密に相談するのは正直辛いから。
「……でもなんか、元気も無いみたいやな…大丈夫なんか?」
「…うーん…気になることがあるって言えばある、かな…」
「んー……よっしゃ、じゃあ今日は相談に乗ったる!
んじゃ、ラボ行くでぇ都筑っ」
「ああ、サンキュ」
溜まっていた書類は昨日の残業で終わらせたし、今の所は調査依頼も無い。
あとは、課長秘書 兼 影の支配者の許可を取れば。
「あのー……巽、いい?」
「……何が、です?」
「えっと……亘理とラボに行くの…」
許可を取れば、と言っても、これが一番手強い。
でも。
「…何かあったら、すぐに仕事に戻ってもらいますよ。
それと、あまり長くならないように」
「も、もちろん! ……ありがとな、巽」
「感謝の気持ちがあるなら、仕事で報いて下さいね」
「ぅ……頑張りマス」
渋々の了承ではあったが、こういうときにはさり気なく優しい。
悩んでいたりするときは、必ず時間をくれる。
「密、俺ラボ行ってるから何かあったら」
「いいから、早く行けよ」
呼んでね、と言おうとしたのに遮られてしまった。
でも、密も巽と同じ。
言葉はぶっきらぼうで、突き放すように言うけど。
自分の幸せを願ってくれるのが、ただ素直に嬉しかった。
「……うん、じゃあまた後でね」
「ああ、さっさと戻って来いよ」
その証拠に、返ってくる視線は優しい。
本当に、幸せなのに。
微かに感じる、この不安は何だろう。
「で、どないしたん?」
「ああ……どうっていう訳でもないんだけど…。
…なんか、邑輝の様子がおかしいっていうか……」
「ダンナは元々おかしいやろ?」
「いや、そうだけどさ……最近ずっと、何か変なんだよね」
「………否定はせぇへんのかい」
最初は冗談っぽく話していた亘理だが、相談にはちゃんと乗ってくれる。
相談というほどの内容でも無いが、誰かに話を聞いてもらいたかった。
「昨日邑輝がね、ソファーでうたた寝してたみたいでさ」
「へぇ、センセのキャラっぽくないなぁ」
「うん、でもそれは疲れてたのかな、で済むんだけどね。
で、寝顔見ようと思ったら見る前に目ぇ覚ましちゃって」
「おお、残念やったなぁ。 激写!とかしたら高く売れそうやのに」
「そういう話じゃないっての。 ……まぁ近付いたら起きるのはいつものことなんだけど。
で、なんか珍しく夢見てたらしくてな」
「夢、かぁ……どんな夢やったって?」
「いや、覚えてないらしいんだ。 それは嘘じゃないんだろうけど…」
「けど、なんや?」
「覚えてはないけど、あんまりいい夢じゃなさそうなんだよね」
「ああ、そういうのあるなぁ。
内容は覚えてへんのに、嫌〜な気分だけが残ったりしてな」
「そうなんだよな。 だから、ただそれだけだと思ったんだけど…。
よくよく考えてみると昨日だけじゃなくて、ここんとこずっとな気がするんだよなぁ」
「そら、ちょっと難儀な話やねぇ。 覚えてないなら聞いてもしゃあないやろうし」
お互い冗談を交えながらの相談だが、実際はかなり真剣だ。
二人で頭を悩ませてはみるものの、いい解決策は一向に浮かばない。
直接聞いても、邑輝はちゃんと答えてくれないだろう。
と、思っていたけど。
「でも都筑、ジブンは聞いたことあるんか?」
「何を?」
「ダンナの様子がおかしかったときとか」
「あー……うん、いや…あ、無いかな」
「せやったら、直接聞いてみたらどうや?
なんかあったかーとか、体調悪いんかーとか」
「………素直に答えると思う?」
「…………どうやろ」
いまいち不安だけど、ちゃんと聞くのが一番かな。
俺が聞かないから、邑輝も言わないだけかもしれないし。
何も無いことを祈りつつ、そう心に決めた都筑だった。