望むものは、唯一つ
≪愛は裏切りに似て 0≫
声が、聞こえる。
何も無い、果てさえも無い。
無限に続くような、狭い鳥籠のような。
全てを覆い尽くすような、白い闇に。
声が、響く。
誰の声かも解らない、姿も見えない。
言葉にもならない、ノイズのような。
けれど、何か。
恐怖にも似た感情に、支配される。
脳内に、警鐘が鳴り響く。
聞いてはいけない、誰の声か、気付いてはいけない。
その声が聞き取れる前に、戻らなくては。
―――…戻る? …何処へ?
戻るところなど、在るのだろうか。
存在が赦される場所など、自分には無い。
思考が錆びて、停まる。
逃げ出したいのに、足が動かない。
耳を塞ぎたいのに、手も動かない。
誰かの名前を呼ぼうとしても、思い出せない。
柔らかな笑顔も、記憶から消えていく。
それでも、何かを言葉にしようとして。
肺から送り出された空気は確かに声帯を震わせたのに、音にならない。
全ての機能が、停止していく。
このままでは、消滅してしまう。
存在が、消えてしまう。
何故、消えなくてはならないのだろう。
刻まれたプログラムを、拒んだから?
嫌だ、消えたくない。
―――…誰か、…―――
「……邑輝…、邑輝…?」
突然鮮明に聞こえた音に、意識が覚醒する。
その音は声で、それが自分を呼んでいるのだと気付くまでに、少し時間が掛かった。
「お前なぁ、ソファーなんかで寝てたら風邪引くぞ?」
呆れたような微笑みで、覗き込む人。
誰よりも、何よりも愛しい彼。
普段人混みの中でも聞き取れる声を、何故すぐに気付かなかったのだろう。
眠っていたということは、夢でも見ていたのか。
どうやら、少し記憶が混乱しているらしい。
夢の内容も、思い出せないのに。
「……邑輝? 大丈夫か?」
「ええ……何か、夢でも見ていたようですね」
「ふぅん…どんな夢?」
「さぁ……それが、よく思い出せなくて…」
そういうのってあるよね、そう言いながら隣に座る。
その横顔を見て、今この瞬間、都筑の瞳が自分を映していないことに。
ほんの少し、不満のようなものを感じて。
「………都筑さん」
「何……ん…」
名前を呼んで、振り向いた都筑の言葉を遮り、唇を重ねた。
突然のキスに戸惑いも抗いもないことに、安堵を覚えて。
何度か啄んで唇を離し、覗いた紫の瞳に映った自分を見て、唐突に理解した。
感じたものは、不満では無い、不安だった。
だが何故不安という感情を覚えたのか、邑輝には解らなかった。
「どうしたんだよ、急に…」
「理由が無いと、キスしてはいけませんか?」
「そうじゃないけど……なんか、様子がおかしいから」
「……では、きっと夢は悪夢だったんでしょうね」
夢の内容は、覚えていない。
けれど、いい夢で無かったのは確かだ。
訝しげな視線を無視して、ソファーの上に押し倒した身体に覆い被さる。
記憶に残らない夢の所為で胸に宿った、暗い感情を忘れる為に。
彼がそれに気付く前に、何もかも消してしまえばいい。
遠くで、声が聞こえた気がした。
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