存在の理由も、証明も。
≪クロッカス≫
冬の厳しい寒さが少し和らいできた、2月も終わりに近付いてきたある日のことだった。
珍しく邑輝の本宅、城のような屋敷に呼ばれた都筑は、私室へと案内されていた。
無駄に広く、そこかしこに豪華な調度品が置かれているこの家は、総額何円相当になるんだろう。
きっと都筑には理解出来ないであろう疑問を振り切り。
芸術的な彫刻をされた、大きな扉へと踏み込んだ。
「ああ、都筑さん……お待ちしていましたよ」
「遅くなって悪かったな…仕事、思ったより長引いてさ」
「構いませんよ、待っている時間も中々楽しいものですし」
都筑に自分の隣に座るよう促し、ソファーに並んで腰掛けた。
やがて手伝いの者が二人分の飲み物を用意し、再び部屋から出て行く。
それを見計らって、邑輝よりかは幾分華奢な身体を抱き寄せ、額にキスを一つ。
途端跳ね上がる肩と羞恥に紅く染まる頬を見て、自然と笑みが零れる。
「お…っ…お前なぁ……ッ」
「ちゃんと人前ではしなかったでしょう?」
「……それは素直に聞くんだな」
「他人に見せるのは勿体無いですからね。
だって、貴方の可愛い反応を見るのは私だけの特権でしょう?」
にっこり笑って言えば、子供のように口を尖らせる。
「………確かに、そりゃそうだけどさ…」
ぼそりと拗ねたように呟いた、たった一言。
多分無意識だろう言葉に、だが不思議なほどに胸の内が温かさに満たされる。
これは、『嬉しい』という感情。
人間という自分を捨てたと思っていたのは、どうやら自分自身だけだったらしい。
ただ奥底に封じ込めただけの、弱くて醜い人間の自分。
優しさが欲しくて、抱き締めて欲しくて、愛して欲しくて。
叶わないと望む前に諦めて、閉ざした心を。
柔らかく溶かして、秘かな願いを一つずつ拾い上げて。
その全てを叶えてくれた、愛しい人。
「……? どうしたんだ、急に黙り込んで」
「いえ………愛してますよ、都筑さん」
「……っ……お、俺も……好き、だよ」
やっと熱が引いた頬に、また朱が差して。
いきなりの愛の囁きをからかうこともせず、か細い声で応える。
恥ずかしがりながらしか言えないところも、愛してると言えないところも。
それでも伝えようとしてくれる、優しい気持ちも。
可愛らしくて、愛しくて。
だから、何度でも言いたくなる。
それでも、しつこいと言われるだろうから敢えて言わない自分が。
彼のことを考えながら、言葉も行動も選ぶ自分が。
可笑しくもあるけれど、好きだと言える。
以前の私が見たら、きっと理解できないでしょうね。
「………そういえばさ、さっきから気になってたんだけど」
「なんですか?」
「いや、花がさ……鉢植えなんて、前来たときは無かったよな?
それに、薔薇じゃないみたいだし」
薔薇の花が好きで、他の花にはあまり興味も無かったけど。
貴方の趣味のおかげで、少し変わってしまったらしい。
今日の為に、貴方の為に、用意してしまった花。
一生懸命調べて、わざわざ買って、部屋に飾って。
その自分の姿を客観的に思い出すと、笑えてくる。
「ええ……何の花か、分かりますか?」
「えーっと…クロッカス、だよな?」
「ご名答。 さすがですねぇ」
「でも……なんで?」
本当に分からないらしい、首を傾げて私の顔を覗き込んでくる。
こういうときの表情は、子供みたいで。
それが妙に可愛く思えてしまって、バカみたいな自分が面白い。
「そうですねぇ……ああ、その前に」
「何?」
「目を閉じて頂けませんか?」
不思議そうな顔をしながら、それでも言う通りにして、紫の双眸が隠される。
それを確認して彼の左手を取り、手の甲に口付けて。
驚いたのか微かに震えた指先を無視して、クロッカスの花と共に用意したものを取り出す。
それを静かに薬指に収めて、手を離した。
「もう、いいですよ」
囁きながら彼の頬に軽くキスをすると、綺麗な紫水晶が現れる。
思わず魅入ってしまったが、じっと指を見つめる彼を見て、また口許が緩んでしまう。
「……………邑輝、コレ……」
「誕生日プレゼントですよ。 今日は貴方の誕生日でしょう?
……そして、クロッカスは貴方の誕生花………」
「え……あ」
「……やっぱり、忘れてましたね?」
呆れ気味に言うと、バツの悪そうな顔をして目を逸らしてしまった。
私の誕生日のときは真っ先に祝ってくれたのに、自分の誕生日を忘れるなんて。
けれど、それは幸せな証拠なのだろう。
忌まわしき日として、忘れることが出来ないよりは。
「貴方が生まれた今日という日に、貴方の存在に、感謝しますよ……。
ありがとう……都筑さん」
「邑輝……どうしよう、俺…すごい、嬉しい……」
喜ばせようとしたわけでもない、本当に心からの気持ちを。
ただ私が伝えたかった想いを、告げただけなのに。
何より美しい紫電の瞳を見つめながら、囁いた言葉に。
同じように見つめ返しながら、私の名前を呼んで。
ふと瞬きをした拍子に、真珠のような涙が零れ落ちた。
悲しみではない、喜びの涙。
「ご、ごめん……なんか、嬉しすぎて…俺、どうしていいか…」
胸の奥が、熱くなる。
鼓動が早くなって、締め付けられるような、けれど甘い痛みが心臓を襲って。
衝動的に、強く抱き締めていた。
「都筑さん……私も、嬉しいです…」
心臓どころか喉まで心地良い痛みが支配を始めて、そう言うのが精一杯だった。
彼が、泣いている。
悲しみでも苦痛でもない、幸せの涙。
私が彼に幸せを与えることが出来た、この至福。
例えようのない、感情。
躊躇いもなく、彼の腕が背中に回される。
体温と一緒に、想いも伝わってくるようで、伝えられるようで。
でも、どうしても、言葉で伝えたいことがあった。
「ねぇ、都筑さん……クロッカスの花言葉、ご存知ですか?」
頬に触れて、軽く上向かせる。
静かに左右に首を振って、先を促すように私の目を見て。
本当は、誕生花はいくつかあるのだけれど。
この花が、貴方に相応しいと思ったから。
誕生花と同じように、いくつもある花言葉。
色々調べているうちに、彼そのもののような気がしてくるほどに、相応しい花言葉。
「切望、焦燥……貴方を待っている、私を裏切らないで……。
とにかく、待ち焦がれたり、望んだり、求める意味を持つ花言葉が多かったんですよ」
「………それって、我儘じゃん」
冗談のように話す私につられてか、言いながら彼はクスクスと笑う。
我儘と言われれば、確かにそうかもしれない。
ひたすらに待って、だが強く願い、求め続ける。
けれど、待ってくれているから、願ってくれるから、求めてくれるから。
望んでくれる存在があるから、存在できるものがある。
「ええ……だから、我儘でいて下さい」
「……俺が…?」
「貴方が私を待っていてくれれば、求めてくれれば……。
そして、貴方が幸せだと思えたなら……私は、そこに存在できる」
貴方という存在があるから、私は存在できる。
貴方が幸せを感じてくれるなら、それは至上の喜び。
貴方が居なければ、もう。
息も出来ない程に、愛しているから。
「じゃあ……ずっと傍に居ろよ。 俺、ワガママ大王になるからな」
「大丈夫、どんな我儘も叶えてみせますから」
小さく笑い合いながら、唇を重ねる。
私を求める、貴方の為に。
貴方を求める、私の為に。
探し続けていた答えは、此処に。
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