キミと居られる幸せを。
≪ユキノシタ≫
「…寒ぃー……」
思わず出てしまった言葉と共に、漏れた吐息は白い。
真冬というにはまだ早いが一際寒い今日この夜、安物のコートではその寒さを凌げない。
せめてマフラーか手袋でもしてくるんだったなぁ…。
外に出てから数十分は経っただろうか、冷えた指先は色を失いかけていた。
少しでも温めようと、両手に息を吐きかける。
唇を掠めた冷たく白い指は、今は隣に居ない恋人を連想させた。
「……時間、まだか……早く来すぎたかな…」
首を軽く右に傾げて、腕時計に目を向ける。
時計の針が指している時間は、11時53分。
日付が変わるまで、あと7分。
「………1分前には、来て欲しい…かな」
いつの間にか思っていたことを口に出していた自分に、少し驚く。
無意識に独り言を言うほど、待ち焦がれている。
「……変わったよな、俺…」
誰に言うわけでも無く、自分に言い聞かせるように呟いた。
変わったのは、自身だけではないだろう。
きっと彼も、同じことを思っている。
互いを想うだけで、世界が優しいものに思えるほどに。
ふと、唇が微笑みを形作る。
約束なんて不確かで残酷で、ただの不安の塊のように感じていたけど。
彼と交わした約束は、優しくて温かくて、待つ間さえも幸福に感じられる。
彼から与えられるものは、幸せすぎて、大切すぎて、不安になることもある。
同じくらい幸せなものを、大切なものを、与えることが出来ているのだろうか。
与えられるだけでは嫌だと、この気持ちは我儘じゃない。
大好きだから、言葉だけでは表せないくらいに、愛しいから。
だから、彼が幸せそうに笑えるように。
本当に大切な想いが、タカラモノみたいなものが、彼の中に降り積もるように。
この気持ちを、どう伝えよう。
元々口下手で気の利いた言葉も出ないし、だからと言って行動で示すのも得意じゃない。
こんな風に彼のことで悩むことも、楽しいと思えてしまうから。
こんな気持ちを教えてくれた彼に、自分が出来ることは何でもしてあげたい。
同じ想いを、この至福を、共有したい。
そうして彼が微笑んでくれたなら、それだけで。
「………2分前……間に合うかな、アイツ……」
背凭れの代わりにしていた柱から一歩離れて、真上に位置する時計を見上げる。
腕時計と見比べて、時間がずれていないか確認したりして。
「…………あ」
再び柱に寄りかかり、紫の双眸をきょろきょろと動かす。
愛しい人を探す視界の前を、純白の羽根が過った気がして。
反射的にそれを追おうとして、だが瞳は途中で戻される。
舞い降りた天使のような姿を持つ、彼によって。
「……随分、お待たせしてしまったようですね…寒かったでしょう」
静かに歩み寄り、冷えきった指より仄かに体温を持った掌が、恭しく手を取り。
柔らかい唇が温もりを分けるように触れて、微かな吐息は悴んだ指先には熱く感じた。
その所為だけではないが、離された手に触れた空気は、やけに冷たかった。
少しだけ寂しさを感じた、瞬間。
時計台から流れる音楽が、日付が変わったことを知らせた。
「…邑輝………誕生日、おめでとう」
そんな、月並みな言葉しか言えない。
だけど、たったそれだけの言葉だったのに。
一瞬、少しだけ驚いた顔をしたあと。
逆にこちらが驚いてしまうほど綺麗な、幸せそうな笑顔になった。
何よりも俺を幸せにしてくれるのは、邑輝の幸せ。
「ありがとう……都筑さん…」
人目も気にせず抱き寄せられて戸惑ったのは、ほんの数秒。
すぐあとに耳元で囁かれた礼に、胸を満たしたのは嬉しさだった。
少し身体を離して、気恥ずかしさから逸らした視線の先にあったのは。
「季節には少し早い気もしますが……雪が降り出したようですね…」
先程羽根のように見えたものは、雪だったらしい。
暗い黒雲から舞い落ちるそれはとても綺麗で、白い花弁のようにも見えて。
「………ユキノシタ……」
「雪の下…?」
「ああ、初夏に咲く白い花で……和名が、雪の下。
食用にも薬にもなるんだって」
確かに雪は白い花弁のようにも見えますね、そう言ってもう一度雪を見る。
同じことを考えてくれたのが、嬉しくて。
その花は、今日は特別な意味を持つから。
「知ってる? ユキノシタは、邑輝の誕生花でもあるんだ」
「誕生花なんてものがあったんですね……ユキノシタ、か…」
雪の降る光景を見て、思い出した。
独特の形をした白い花を、その花が持つ役割を。
その、花言葉も。
「今日にピッタリだろ?」
「ええ、そうですね……ねぇ、都筑さん」
「何?」
「ユキノシタの花言葉って、何ですか?」
「……………それは、教えない」
「意地悪ですねぇ」
「お前に言われたくないよ」
ゆっくりと歩き出して、他愛無い会話に至福を感じながら。
すぐ傍の白く冷たい指先に、自分のそれを絡めて。
そこに存在する、ユキノシタの花言葉。
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