恋愛って、どんなものだろう。 人を好きになるって、どんな気持ちだろう。 そんな風に考える私は、きっとまだ、恋を知らない。 ≪Accident≫ 「わぁっ…今日はいい天気ですね。 嬉しいな」 「天気がいいと嬉しいのか? 俺には分からんな」 「えー…なんか、わくわくしたりしません?」 「しないな」 ジャンと二人で、街に買い物に出掛ける。 それは、すでに日常となっていた。 けれど最近は雨ばかりで、たまに降らないときもどんよりと曇り空だった。 晴天は久しぶりで、陽の光を浴びると気持ちがいいし、わくわくしてくる。 が何気なく言った普通の言葉も、ジャンには理解出来ない感情だったりするらしい。 「……で、でもっ、雨よりはいいと思いませんか?」 「まぁ、確かにな。 外出するにも、雨だと面倒だ」 「でしょう? ……あ」 ふと、本屋に目が留まった。 店前のワゴンに、ぎっしりと詰められた沢山の本。 「…はぁ……待っててやる」 「ジャンも一緒に来るんですよ?」 「何で俺が」 「いいから、一緒に来て下さいっ」 「……やれやれ、やはりダレンの娘だな…」 ジャンの腕を引いて、ワゴンの前に二人で立つ。 隙間無く並べられた小説を、手に取ってはページをぱらぱらと捲る。 その行動を隣で見ていたジャンは、ふとが一つの本に集中していることに気が付いた。 「……さっさと貸せ」 「え?」 「それがいいんだろ? 買ってきてやる」 「えっ…あ、ありがとうございますっ」 「…こんなものの何が面白いのか分からんがな」 から本を受け取り、適当にページを捲る。 どうやら恋愛小説らしい、だがジャンには興味が無い。 この年頃の娘は、恋愛に興味を持つらしい…その程度にしか思っていなかった。 「……随分、熱心に読んでいるな」 買い物から戻り、昼食を摂ったあと。 食事の後片付けと屋敷の掃除を一通り終えたは、居間のソファーに居た。 手にしているのは、昼間に買った恋愛小説。 「わっ……びっくりしたぁ…」 「そんなに面白いのか?」 「面白いというか…興味深いです」 教会育ちのにとっては、外の世界は何もかもが新鮮だった。 シスター見習いだから、というのも勿論あったが。 何より、ヨシュアに色々なことを止められたりしていたから。 特に恋愛事に関しては、何も教えてもらえなかった。 「ほう…恋愛に興味があるのか」 「そりゃありますよ! …それに、こういうの読んだこと無かったし…」 「…小説でも、か?」 「…昔、恋愛小説を読もうとしたことがあったんですけど…。 途中で、ヨシュアに捨てられちゃったんです」 「あの神父が? クク…余程、が大事らしいな」 「酷いと思いません? だから、今度こそ最後まで読みたくて」 恋愛に関して、知ることぐらいは許されると思う。 そう思って、目に付いた恋愛小説を選んで、今こうして読んでいる訳だが。 「…それで? 理解は出来たか?」 「まだ途中なんです。 それに…何だか、難しくて…」 「難しい?」 「人を好きになるって、どんな気持ちなのかな、って」 普通の『好き』とは違う、特別な『好き』。 それは解るけど、『普通』と『特別』の違いが、いまいち解らない。 実際に誰かを好きになれば、解ることなのだろうか。 「……俺には解らんな」 「私にも解りません…」 「だが、興味深いな。 読み終わったら俺にも貸せ」 「………」 「どうした?」 意外、というか、何と言うか。 「いえ、その……ジャンだったら、 『俺はそんなものに興味は無い』とか言いそうなのに、と思って…」 「……今のは、俺の真似か?」 「え、似てませんでした?」 「はぁ……だが、確かにそうだな。 恋愛などに興味は無かったはずだが…何故だろうな」 「さぁ…でも、ジャンが恋愛について理解出来たら、私にも教えて下さいね?」 「知らん。 自分で理解しろ」 「……ケチ」 「うるさい奴だな…さっさと読め」 「…はーい」 好き、かぁ。 ジャンも解らないって言ってるし、やっぱり恋愛って難しいものなのかな? でも、恋愛小説のヒロインは、なんだか楽しそうに思える。 恋愛って、きっと楽しくて、幸せなものなんだろうな、って感じはするけど。 私には、まだ解らない。 夕飯を食べて、また居間で読書タイム。 がずっと本を読んでいる所為で、ジャンは少し退屈らしい。 ソファーに座っているの隣で、じっと様子を見ている。 「……おい」 「………」 ジャンが声を掛けても、返事は無い。 「…おい、」 「…えっ、わっ…ジャン?!」 「…今、気付いたのか」 「えっと、はい……すみません」 それどころか、隣に座ったことさえ気付いていなかったようだ。 そのことに苛立ちに似たものを感じながらも、溜息を吐くことで誤魔化す。 「……電気、いいのか?」 「え? …やだ、電球切れてるっ!!」 ジャンに言われて天井を見上げると、電球は点滅を繰り返していた。 どうりで目がチカチカすると思った、そう呟きながら。 は持っていた本を放って、慌てて物置に向かった。 踏み台と、替えの電球を持って居間に戻る。 「この間、買っておいて良かったですね」 「そうだな」 踏み台に乗って、電気に手を伸ばす。 だが予想外の熱さに、思わず悲鳴を上げる。 「熱っ…!」 「馬鹿が……そのまま触る奴があるか」 「だ、だって…」 「消すぞ」 「す、すみません…」 ソファーで様子を見ていたジャンが面倒そうに立ち上がり、電気を消してくれる。 熱が冷めるのを待ち、暗闇の中、手探りで電球を取り外した。 「よいしょ、っと…あれ? 替えの電球は…」 「これだろ?」 「あ、ありがとうございます…なんか、思ったより暗いですね」 「夜だからな。 …俺がやった方がいいのか? これは」 「大丈夫ですよ、このくらい。 んーっと…あ、ここかな? ……よし、出来たっ」 ぼんやりとだがジャンの姿が見えて、訳も無く安心する。 手渡された電球を受け取り、暗い視界の中、必死に目を凝らしてそれをはめる。 天井に向けていた手を下ろし、踏み台から降りようとしたその時。 「きゃっ…?!」 「!」 足を踏み外し、床に落ちる、その瞬間だった。 咄嗟に伸ばされたジャンの腕に引かれて、なんとか床との衝突は避けられたらしい。 だが、急な行動の所為か、バランスを崩したジャンに覆い被さる形になってしまった。 そして、床に倒れ込む、ほんの一瞬。 唇に触れた、柔らかい感触。 「……………」 「…い、今、もしかして…」 「………」 「はっ! ご、ごめんなさい!」 ジャンの上に倒れていたことに気付き、は慌てて退く。 とりあえず謝るものの、ジャンからは何も返って来ない。 暗い所為で表情も良く解らないから、……なんか、怖い。 「ジャン…? あの、怒ってます…?」 「……いや…怒っては、いない、が…」 「そう、ですか…? あ! 灯り点けますね!」 「なっ…おい、待て!」 「え?」 返答があったことに安堵し、電球を替えたことを思い出して灯りを点けに行く。 静止の声が聞こえた時には既に遅く、部屋は明るさを取り戻していた。 振り返ってジャンを見たとき、あまりに意外なことに、は固まってしまった。 「………」 「………」 お互い、しばし無言になる。 …ジャンの顔が、赤い。 「…えっと…熱、でも…」 「…俺は熱など出さん」 「でも…顔、赤い…」 「黙れ。 ……はぁ…なんでこんな小娘に…」 やはり、先程のは勘違いでは無かったのだろうか。 「…やっぱり、さっき…」 「………」 「……口、が…」 「わざわざ言うな!」 「ご、ごめんなさいっ!」 赤くなった顔を手で覆い隠して、深い深い溜息を吐く。 こんなに取り乱したジャンなんて、初めて見るものだった。 床に座り込んだままだったジャンが、やがて立ち上がっての横を通り過ぎる。 「ど、どこに行くんですか?」 「……飲みに行ってくる」 「そ、そうですか…」 やけに早足で玄関に向かうと、振り返りもせずにの問いに答える。 しかし立ち止まって暫く黙ったあと、肩越しに振り返ってを見て。 「…おい」 「は、はいっ!!」 「……い、今のは事故だ。 忘れろ」 「………」 そう言ったジャンの顔は、まだ赤かった。 一瞬呆然としただったが、勢いよくドアを閉める音で我に返る。 あれは、もしかして……照れていた? 「…き、きす…しちゃったんだよね…?」 今更ながらに、恥ずかしくなってくる。 顔が熱くて、鏡なんか見なくても、真っ赤になってることが解った。 一瞬だけ触れた唇の感触と、初めて見たジャンの照れた顔が、頭から離れない。 ぐるぐると頭を廻るものに眩暈を感じつつ、元の明るさを取り戻した部屋で。 は一層熱心に、恋愛小説を読み耽るのであった。 数日後、居間では。 と同じように、真剣な顔で恋愛小説を読むジャンの姿があった、とか…。 Back |