「いったー…」


「はぁ……大丈夫か?」


「……心配してくれるんですか?」


「俺は心配などしない」


「ですよねー…」










≪feeling≫










「……遅いなぁ…」





『少し出掛けてくる』と言って出て行ったきり、ジャンは中々帰って来なかった。

もう夜中だというのに、どこに行ったのだろう。



ジャンが一緒に居るだけで、安心出来る。

だからかもしれない、独りで居ると、急に不安になった。





「出掛けるときは行き先を言ってから、ってルールも決めたのに…」





戻って来たら、ルール違反だって言わなきゃ。



でも、もし。





「……戻ってこなかったら、どうしよう…」





絶対に戻ってくる、そう信じたいのに。

独りで居ると、信じることさえ怖くなってくる。



だからと言って、一人で外を出歩くことが危険なのも解っているから、探しに行くことも出来ない。



以前と同じように、玄関に座り込んで、ジャンの帰りを待つことにした。








「……んー…」





閉じた視界に、光を感じて目を開けた。

いつの間にか眠ってしまったらしい、気付けば外から陽射しが差し込んでいる。





「…ジャン…?」





段々と覚醒してきて、玄関に座り込んでいた目的が浮かぶ。



ジャンは帰って来たのだろうか、そう思って立ち上がろうとしたとき。





「あれ…」





くらり、と眩暈がして、立ち上がることが出来ない。

頭が酷く重くて、目の前が暗くなっていく。



そのまま暗い底に沈むように、意識は途切れた。










「……何故また玄関で寝てるんだ」





ジャンが屋敷に戻って来たのは、日が完全に昇ってからのことだった。

ドアを開けてすぐに、床に寝転んだの姿を見付けて、思わず溜息を吐く。





「おい……だから、ここは寝る場所じゃないだろ?」


「………」


? …また熟睡か?」





仕方ない、との身体を抱き上げようとしたとき、異変に気付いた。





「……?」





体温が、いつもより高い。

頬も少し赤く、呼吸も苦しそうにしていた。





「おい、……俺だ、分かるか?」


「…あ……ジャン…?

 ……良かった…帰ってきて、くれたんですね…」


「…当たり前だ、余計な心配をするな」


「でも…」


「少し黙っていろ。 部屋に運ぶぞ」





そう言うと、言う通りに黙り、目を閉じる。



抱き上げると、の手が弱々しく服を掴んだ。

帰って来ないかもしれないと、不安にさせたのだろうか。




何故か、胸の辺りがちくりと痛んだ。










ベッドに寝かせると、閉じていた目を開き、虚ろな視線でジャンを見つめた。

潤んだ瞳の所為か、今にも泣き出しそうに見える。



それを見て、また胸が痛む。




この痛みの正体は、何だろう。






「……ジャン…」


「…大丈夫だ、ここに居る」





震える声で名前を呼びながら、何かを探すように揺れる小さな手。

その手を取って囁くと、安心したように微笑んだ。





「……どうして、また玄関で寝ていた?」


「…だって……ジャンが、行き先も言わずに出掛けるから…」


「…また、俺を待っていたのか」


「何かあったのかな、とか…戻ってこないかもしれない、とか…色々、心配で…」






そういえば、が作った『ルール』を守らなかった。



心配するから、出掛けるときは行き先を言うこと。

が不安にならないように、作った『ルール』なのに。




結局、心配させて、不安にさせてしまった。






「……悪かったな」


「え…?」


「俺の所為だろ?」


「そんな……ジャンの所為じゃありませんよ…?

 …私が勝手に、玄関で待っていただけで……」





こんな風に辛いときまで、他人を優先するを、やはり理解出来ない。



ジャンの所為だと責めればいいのに、何故そうしないのか。





「俺がルールを守っていれば、玄関で待つことも無かったはずだろう」


「それは、そうかもしれませんけど……でも」


「医者でも呼ぶか?」


「そ、そんな大したことじゃないですってば…」


「……そうは見えないが」





話しながらも、浅い呼吸を繰り返し、かなり辛そうに見える。

空いている手を額に乗せると、掌から熱が伝わった。



このまま掌から、の感じている苦痛が全て自分に伝わればいいのに。

そう思う気持ちは、何と呼ぶのだろうか。






「大丈夫ですよ…寝ていれば、治りますから」


「……少し、待っていろ」


「え、あ…はい…」






繋いでいた手を離し、部屋を出てキッチンに向かう。



適当な器に水を入れタオルを持って、再びの部屋に入る前に、ふと立ち止まった。





「…看病などしたことは無いが……見様見真似で、何とかなるだろ」





部屋に入って、ベッドの横のテーブルに水を置き、タオルを水に浸して絞る。

髪を除け、小さく畳んだタオルを額に乗せた。



少し眠っていたらしいが、その感触に目を覚ました。





「…ジャン…?」


「…これで、合ってるか?」


「……ごめんなさい…迷惑、掛けて…」


「…迷惑とは思っていないが」


「でも……」





そういえば、『迷惑』とも『面倒』とも思わない。



『退屈』でもない、この感情は何だろう。





「…ああ、そうだ。 


「あ、はい…何ですか?」


「罰ゲームを考えておけ」


「え…? 罰ゲーム?」


「そうだ、俺がルール違反をしただろ? だから、何か言う事を聞いてやる」


「…じゃあ……」





小さな手が、頼り無げに伸ばされる。

先程と同じように、反射的に手を取った。



弱々しく握った手を、握り返す。



苦しげにしながらも、ほんの少し、表情が和らいだ。






「……このまま、傍に居てくれませんか…?」


「…分かった、ここに居てやる」


「…ありがとうございます……ジャンが居ると、安心、出来るから…」





そう呟いて、はまた眠りに落ちた。






「……この俺が、人間に看病だと? 有り得んぞ……何なんだ、この状況は」





そう言いながらも、傍を離れようとは思わなかった。

自分の所為だからか、それもあるだろうが、それだけでは無い気がする。



『罰ゲーム』だと言われなくても、きっと自分はの傍を離れなかっただろう。



だが何故、傍に居ようと思ったのか。





「…このまま放っておいても、死にはしないだろうが…」





そもそも、人の生死にすら、興味など無かったはずだ。

大体人が死ぬと言っても、それはただの『器』の死であって、その魂が死ぬ訳ではない。



わざわざの『器』を死なせる気は無いが、それともまた違う。






「だが、放っておこうとも思わない。 …何だ? これは…」





と過ごすようになって、今まで知ることの無かった感情を、色々と学んだ。



これもまた、その『知らなかった感情』の一つだろうか。





「……そういえば…俺が『器』との拒絶反応で身体が痛む、と言ったとき…」





大丈夫だ、放っておけばすぐに治る、そう何度言っても、は傍を離れなかった。

あの時は、勝手に騒いで面倒なやつだ、何故そんなに騒ぐ、そう思っていた。



その理由を訊ねたとき、は何と言っていただろう。






「……ぅ…」


「…?」





ふと、握っていた手に力が込められた。

それと同時に、微かな呻き声が聞こえる。



弾かれたように顔を上げると、熱に魘されているのだろうか、苦しげに顔を歪ませていた。





……


「…ぁ……ジャン…?」





頬を軽く叩きながら、繰り返し名前を呼ぶ。

重たそうに瞼を上げると、ジャンの姿を見て、安心したようにまた微笑む。



そのことに、安堵している自分が居る。






「……おい、大丈夫か?」


「…心配、してくれてるんですか…?」


「俺は心配など……」





いつものように、俺は心配などしない、と答えようとして。

何故か、否定するのを躊躇った。




……ああ、そうか。






「……いや…そうだな、心配だ」


「え……」


「だから、早く治せ。 お前が寝込んでいると、俺が退屈だ。

 最初に言っただろ……俺を退屈させるなよ?」


「…ふふっ…そうですね…頑張って、早く治します」


「…分かったら、さっさと寝ろ。 ……ちゃんと、ここに居てやるから」





『心配』という言葉が、嬉しかったのか。

無邪気に笑って、また眠りに就いた。



温くなったタオルを取り替えながら、穏やかな寝顔を見つめる。



苦痛に歪む顔を見ているより、楽しそうに笑う顔を見ている方がいい。

熱に魘されているより、穏やかな寝息を立てて眠っている方がいい。



苦しんでいるかと思うと、放っておくことなど出来ない。






「……そうか、これが…『心配』か」





がよく口にする、『心配』という言葉の意味。

初めて知るもの、だから悪い気分ではない。



だが、あまり味わいたい感情ではないから。






「………悪かったな」






先程も口にした言葉を、もう一度呟いた。



自分が『ルール』を守らなかった所為で、にこんな感情を抱かせていた。

また、ちくりと感じた胸の痛み、それの理由はまだ解らない。



だが、に『心配』という感情を感じさせるのは、出来るだけ避けたい、そう思った。






「出来るだけ、お前が作った『ルール』も守ってやるさ。

 ……その代わり、お前も…もう、俺に心配なんてさせるなよ?」





それは、ジャンも無意識のうちだったが、囁く声は優しかった。

その返事のように、ほんの少し力を込めた掌を、小さな手が握り返してくる。



解ってるならそれでいい、独り言のように呟いて。




眠るを、片時も離れず見守っていた。















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