「これだからガキは…」


「ガ、ガキじゃありません!」




「おい、お前は…」


「もうっ、だって言ってるじゃないですか!」










≪paradox≫










「ジャン…私の名前、知ってますよね?」





ある日、いつものように食事を摂ったあと。

食後のコーヒーを運んできたは、突然不満そうな顔で訊ねた。



理由の解らない質問に、ジャンは見当違いの答えを返した。





「…どうした、自分の名前を忘れたのか? 人間とはおかしな生き物だな」


「違いますっ!」


「……、だろう? それがどうかしたか」





受け取ったコーヒーを口に運びながら応えるが、は変わらず不機嫌なままだ。



不機嫌というより、どこか拗ねているようにも見える表情。

…正直、悪くない気分だと思ってしまうのは、何故なのだろうか。






「…私が作ったルール、覚えてますよね?」


「当然だ、お前と違っていちいち書かずともな」


「ジャンがルールばっかり作るから大変なんです!」





やはり、まだまだ子供だ、と思う。

ちょっとしたことで一喜一憂して、見ていると飽きない。





「うるさいな…それで、お前が作ったルールがどうした」


「……って呼んで下さい、って言いましたよね?」


「ああ…言っていたな。 それが何だ?」


「それなのに、ジャンはあまり呼んでくれませんよね」


「なんだ、名前で呼んで欲しいのか?」


「そういうルールですっ」





頬を膨らませて、ぷいと視線を逸らした。

そういう仕草をするから子供だというのに、相手がだと、咎める気は起きない。



女や子供は興味の対象にはならなかったはずなのに、は唯一の例外だ。






「私にだって、って名前があるのに…。

 『ガキ』とか『おい』とか『お前』とかばっかりじゃないですか」


「名前で呼ぶときもあるだろ?」


「うーん……でも、大体は呼んでくれません」


「人間は面倒だな…二人しか居ないのに、わざわざ名前で呼ぶこともないと思うが」


「二人しか居ないからこそ、です!」


「…はぁ……分かった、なるべく呼んでやる」






いい加減な返事が気に喰わなかったのか、の表情は晴れないままだった。









「……また、ここに居たのか」





生前、ダレンが集めた様々な本が置いてある書斎。



ジャンが『器』との拒絶反応で苦しむ姿を見てから、はこの書斎に居ることが多くなった。

苦痛を和らげる方法でも探しているようだが、ここでその答えが見付かるとは思えないのに。





「あ、はい……残念ながら、理解不能ですけど…」


「…あれは一時的なもので、すぐに治まると言ったはずだが」


「でも、本当に苦しそうだったから…少しでも、楽になる方法は無いかなって」





お人好しというか何と言うか…これは、教会育ちの所為なのか。



ジャンにとっては、の方が余程『理解不能』だ。





「あ、そうだ! ……あの、ジャン」


「なんだ」


「私、新しくルールを考えたんですけど…」


「……言ってみろ」


「えっと…ルールを守らなかったら罰ゲーム、とかは…」


「人間ごときが俺を罰するのか? 却下だな」





即答すると、しゅんと肩を落とす。



くるくると変わる表情、ストレートな感情表現。

退屈はしないし、悪い気分もしない。



それなのに、こんな風に落ち込んだ顔や、不機嫌そうな顔をされると。

知らなかった『想い』が、また溢れ出す。






「……分かった、聞くだけ聞いてやる。 どんな罰なんだ」





溜息混じりの言葉ではあったが、曇っていた表情が途端に晴れた。

そのことに『安心』に似たものを感じたのは、何故だろう。





「は、はい! えっと、そんなに大袈裟なものじゃないんですけど…。

 例えば……ルールを守らなかったら、相手の言う事を聞く、とか」


「…それは、お前がルールを守らなかった場合も、か?」


「…そうですね……じゃないと、不公平ですから」


「そうか…なら、認めてやろう」


「本当ですか?! じゃあ早速…」


「……は?」





発案の『ルール』を認めてもらえたことが嬉しかったのか、明るい笑顔を見せる。



だが、そのあとに続いた言葉に、思わず間の抜けた声を返してしまった。





「待て、何が早速だ」


「え? だって…ジャン、今日一回も私のこと名前で呼んでくれなかったでしょう?」


「…そうだったか?」


「そうですっ! ルール違反だから、罰ゲームですよ」


「…くだらない内容なら、却下だぞ」


「くだらなくなんかないです! えっと…とりあえず、付いて来て下さい」









に手を引かれて、連れて来られたのは居間だった。

普段はいかにも弱そうに見えるくせに、時々こういう強引なところを見せる。



手を離してソファーに座ると、は自分の膝をぽんと軽く叩いた。





「さ、横になって下さい。 ソファーじゃちょっと狭いかもしれませんけど」


「………何の真似だ?」


「膝枕ですよ?」


「……………」





『罰ゲーム』の内容は、膝枕で寝ろ、ということだろうか。





「……私には、ジャンの正体とか、『器』のこととか、よく分からないけど…。

 ゆっくり休んだら、少しは楽になるんじゃないかと思って」


「…今は何ともないが」


「休養は普段からとることが大切なんですよ。 寝て下さい」


「だから、俺には睡眠など必要ないと…」


「眠らなくても、横になるだけで大分楽ですよ。 ほら、早く寝て下さいってば」





強引なところや頑固なところは、父親譲りなのか。



こんな風に、時々頑として譲らないところがある。

そういったところも、また興味深いと思ってしまう。



と居ると、『理解不能』なことが多い。




このまま一緒に過ごしていれば、いずれ解るときが来るのだろうか。






「はぁ……分かった、寝ればいいんだろ」


「はいっ!」





言われた通りソファーに横になり、の膝に頭を乗せる。



温かい体温と、ちょうどいい柔らかさ。

心地良いとは、こういうことを言うのかもしれない。





「……なるほど、大した罰ゲームだな。

 この俺に、ガキみたいなことをさせるとは」


「…だって、こうでもしないと休んでくれないじゃないですか」


「必要ないと言ってるだろ?」


「はい、でも……やっぱり、心配なんです」


「……やはり、人間はよく分からん」


「そうかなぁ……ジャンは、心配とかしないんですか?」


「しないな」


「そうですか…」





眠ることはないが、ほんの少し目を閉じた。

触れている身体を伝って、声が響く。



しばらく何気ない会話が続いて、やがてそれが途切れた。



不思議に思って目を開けると、覗き込んでいたはずのが視界に居ない。






「……お前が眠ってどうする」





起き上がって見ると、ソファーの背凭れに身体を沈ませ、静かに寝息を立てていた。



夢でも見ているのだろうか、微かに微笑んでいるようにも見える。





「………おい、


「………」


「…熟睡か。 折角名前で呼んでやったというのに、いい度胸だな」





隣に座って声を掛けるが、一向に起きる気配は無い。

どうやら、相当に熟睡しているようだ。



軽く肩を揺すっても、反応は返ってこない。



しかし揺すった反動からか、ジャンの肩に頭を預けてきた。





「…?」


「…んー…」


「運ぶ…のも、面倒だな。 ……仕方ない、肩ぐらい貸してやるか。

 全く……これも罰ゲームのうちか?」





小さく溜息を吐いて、近くにあった毛布を適当に掛けてやろうとして。



その拍子に、ジャンの胸元に擦り寄ってきた。

服を軽く掴んで、まるで子供が親に甘えるように。





「だからガキだと言うんだ……俺はダレンじゃないんだぞ?」


「…むにゃ……ジャン……」


「……解ってて、これか……一体どんな夢を見てるんだ」






夢というものがどんなものか、ジャンは知らない。

人間の真似というものを大体は出来るものの、夢を見ることは出来ない。



ふと、新しい『ルール』を思い付いた。





「…、ルール追加だ」





離れそうにないに毛布を掛けて、それが落ちないように毛布ごと肩を抱いた。



安心しきった様子で眠るに、無意識に、穏やかな笑みを浮かべていた。

それは、ジャン自身も気付いてはいなかったが。






「……俺は、夢を見ることは出来ん。 だから、お前が教えろ」





目覚めたら、夢の内容を教えてもらう。



内容を言わなかったら、ルール違反で『罰ゲーム』だ。





「『憶えていない』も、ルール違反に入るからな。

 そうしたら、今度はお前が『罰ゲーム』で俺の言う事を聞けよ?」





そうしないと不公平だ、と言っていたのはの方だから。

きっと、きちんと言う事を聞くのだろう。



考えていると、不思議と楽しくなる。



眠っていても自分を退屈させないとは、はつくづく貴重な存在だと思う。





「……まぁ、今のお前には聞こえていないだろうが。

 目が覚めたら、もう一度言ってやるさ」






『罰ゲーム』は、何にしようか。



守る為に作られた『ルール』に背くことを望んでいる。

酷く矛盾があることは理解しているが、楽しめればそれでいい。










翌日も、また同じ光景を繰り返すことになるということを、二人はまだ知らない。















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